あきばじんじゃ
岩手県奥州市江刺南大通り5-6
岩手県奥州市江刺南大通り。南大通りは昭和40年以降の江刺市の町名。元は江刺市岩谷堂字一日市町の全域と、樋ノ口・杉ノ町の各一部でした。町名は大通り(市役所通り)の南に位置することに因みます。旧字一日市..
岩手県奥州市江刺南大通り。南大通りは昭和40年以降の江刺市の町名。元は江刺市岩谷堂字一日市町の全域と、樋ノ口・杉ノ町の各一部でした。町名は大通り(市役所通り)の南に位置することに因みます。旧字一日市町は「管轄地誌」に字杉ノ町の北に連るとあり、江戸期における幕府巡見使の道筋。神社庁より…『安永6年(1777)「奥片岡風土記」に当時の町並み図に秋葉神社が描かれており、御用書出には「一秋葉山大権現但し別当修験秋葉院・・」と記されている。社伝によれば、平安前期(802)征夷大将坂上田村麻呂が胆沢城や志和城に居城する頃、九州熊本より従軍した、修験道兄弟が現地除隊となり、兄(高村家祖先)は、片岡村一日市に、弟(千田家祖先)は、土谷村に鮭丸山常寿院祈祷所を天長5年(828)開山したと印ている。中世以降、大峰派法竜山秋葉院の別当として、火防消火消除の祈祷所として祭祀を司り、住民の安泰を祈り信仰厚く、明和2年(1765)堂宇改築、文政5年(1822)遠州(静岡)慈雲山より秋葉の大神の御分霊を勧請、明和初年別当高村家より境内の寄進があり、教務省の指令により権現の号を改め「秋葉神社」となる。大火の続いた岩谷堂では、秋葉神社火防祭(旧正月24日)に御輿が町内を渡御。江刺郡最大の祭りとなりました。(通称二十四日まつり)この祭りが「江刺甚句まつり」へと拡大発展して、現在は5月3日と4日岩手県内屈指の祭りとして、遠来の人で賑わっています。』
軻遇突智命
毎年9月15日に例大祭
江刺バスセンターから5分
24時間
無料
5分から10分
無し。