住古の利根川は今の江戸川に注ぎ真間浦が河口であり大洲はその河口洲でありました。室町時代に行徳塩田が開発され大洲は行徳領の飛地となり六拾年前までは人煙稀な葦原でありましたが、私達の先覚者である坂田、金子、吉田の三氏が苦労して開墾されて水田を開発し、今日の繁栄の期を築かれました。その後逐次入植する人達が増加し、戦後は、水田が宅地化して人口の増加都市化をいたしました。しかし当地には信仰の対象となる産土神は遠く、本行徳の神明神社があるだけでしたので、有志の人達が稲荷神の掛軸を持廻って礼拝しささやかな祭祀を営んできました。 その後、昭和三十五年、藤川登氏が市川町一丁目の屋敷内にあった稲荷神社を当地に移築してはじめて大洲は参拝の場所を得ました。
近時、急激な人口増加があり、それにふさわしい神社の造営が有志の間に論ぜられ、本行徳の神明神社は本来の産土神であり、その祭神豊受大神も稲荷大明神も共に産業の神でありますので、神明神社の御分霊も勧請して大洲神社と称することとなりました。昭和四十八年十二月三十日神明神社の御分霊勧請の儀式があり、昭和四十九年五月五日竣工祭を挙行し、ここに大洲神社の誕生をみたのであります。
この神社を崇敬される大洲のみなさまの幸福と美しい人の和をお祈りもうしあげます。
昭和五十年五月五日 書
(境内の『大洲神社の由来』より)