しらとりじんじゃ
宮城県大崎市松山千石熊野堂45
和賀氏を祀った神社。 和賀氏は鎌倉時代から戦国時代にかけて、現在の岩手県北上市あたり、陸奥国和賀郡を本拠地としていた国人武士団です。 系図には、祖を小野朝臣横山氏流中条氏(多田氏支流)とする説な..
和賀氏を祀った神社。 和賀氏は鎌倉時代から戦国時代にかけて、現在の岩手県北上市あたり、陸奥国和賀郡を本拠地としていた国人武士団です。 系図には、祖を小野朝臣横山氏流中条氏(多田氏支流)とする説などがあります。 本拠地は「二子城」(岩手県北上市)などに構え、最盛期には和賀郡65か村・6万8千石とも伝わる勢力を持ったとされます。
戦国期から滅亡までの流れ 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の「奥州仕置」により、和賀氏は所領を没収されるなどの影響を受けています。 最後の当主とされる 和賀義忠 は、二子城主として一揆に参加するも敗れて、逃亡途中で命を落としたと...