とよたじんじゃ
京都府京都市伏見区横大路北ノ口町47
古くは、1200年〜1300年前 、山城地方に神々しさを秘めた大きな森が八つあり (山城八森)、富ノ森を含め、 それぞれに神社が祀られた。 富ノ森神社の祭神は、宇賀ノ御魂大神、別雷神の二柱を祀る..
古くは、1200年〜1300年前 、山城地方に神々しさを秘めた大きな森が八つあり (山城八森)、富ノ森を含め、 それぞれに神社が祀られた。 富ノ森神社の祭神は、宇賀ノ御魂大神、別雷神の二柱を祀る。 上賀茂社司富野氏、森氏の祖神で、昔は、毎月の神事に社司両家が修禊したという。 この辺りは、古くは巨椋池に臨む河原で、 一口に渡る賃船発着場であったため「古渡」ともいわれた。 豊臣秀吉が伏見城築城に際し淀堤改修を行い、それに伴い富ノ森神社を現在地 (北ノ 口) に移築し、豊田神社と改名された。 幕末には、富ノ森は会津領(役料)となる。 鳥羽伏見の戦いでは、賊軍となった旧幕府側は多くの戦死者を出した。その亡骸は近くの千両松の墓地に41名、愛宕茶屋の墓地に38名が今も静かに眠っている。
宇賀ノ御魂大神、別雷神