つちやひかわじんじゃ
埼玉県さいたま市西区大字土屋156
当社は荒川と入間川の合流地点から東に約二キロメートルほど離れた自然堤防上に鎮座している。西隣の遊馬村には、荒川の乱流を防ぐため大囲堤が築かれており、江戸期には遊馬村と組合を結成し維持管理に当たってい..
当社は荒川と入間川の合流地点から東に約二キロメートルほど離れた自然堤防上に鎮座している。西隣の遊馬村には、荒川の乱流を防ぐため大囲堤が築かれており、江戸期には遊馬村と組合を結成し維持管理に当たっていた。しかし、川の湾曲点のために水当たりが強く、大雨の際には決壊し、その度に両村で修復を行ったという。 『風土記稿』には「氷川社 村の鎮守なり、薬王寺持」とある。創建については明らかではないが、当地は荒川の氾濫によって、しばしば被害を受けたことから、治水の神として、当社を荒川に最も近い村の西端に祀ったのであろう。別当の天台宗青光山薬王寺は別所村(現大宮市指扇領別所)福正寺の末寺である。口碑によれば、昔の社殿の瓦には卍が刻まれていたといい、当社の創建には薬王寺がかかわっていたと思われる。 本殿には、神祇管領吉田家から拝受した宝暦七年(一七五七)三月二十一日銘の「氷川大明神幣帛」と宗源祝詞が奉安されており、このころには既に村の鎮守として位置付けられていたものであろう。このほかに、天保二年(一八三一)に一宮の氷川神社から拝受した木札が納められており、「武蔵国一宮氷川神社御祈啓疫神斎村中安全守護攸大宮神主角井出雲守」との墨書がある。 神仏分離後、薬王寺は廃寺となり当社は明治六年に村社となった。
素戔嗚尊
旧村社
元旦祭:1月1日