にしあすまひかわじんじゃ
埼玉県さいたま市西区西遊馬235-1
当地は荒川左岸の低湿地にあり、古くは大風雨の際には度々堤が決壊し田畑が冠水した。 戦国期の成立とされる「市場之祭文写」に「足立郡遊馬郷指扇村市祭成之」とあり、指扇村や当地を含む付近一帯は中世末には..
当地は荒川左岸の低湿地にあり、古くは大風雨の際には度々堤が決壊し田畑が冠水した。 戦国期の成立とされる「市場之祭文写」に「足立郡遊馬郷指扇村市祭成之」とあり、指扇村や当地を含む付近一帯は中世末には遊馬郷と呼ばれていたことがわかり、既に当地も開発されていたと思われる。 当社は、地内の南部にあたる字宿に鎮座し、すぐ近くには天文十二年(一五四三)の草創と伝える曹洞宗遊馬山高城寺がある。創建については明らかではないが、口碑によると、当社は初め堤外にあったが、荒川の大囲堤を築く際に今の地に移ったという。『風土記稿』遊馬村の項には「氷川社 村の鎮守なり、華蔵院の持」とある。これに見える別当の華蔵院は、当社の南南西二五〇メートルほどの所にあった天台宗の寺院で、その開基は明らかでない。明治四年に廃寺となった。 『明細帳』によると、当社は明治六年に村社となり、同四十年から翌四十一年にかけて、地内の字上サの八幡社をはじめとする無格社七社を合祀し、更に大正九年に字浄蓮坊の無格社稲荷社を合祀したとあるが、そのうちの数社は実際の合祀を免れている。本殿に奉安される神像(全高四七センチメートル)は正面に八幡宮の神紋である巴紋が描かれていることから、上サの八幡社の八幡大明神像と推測され、その台座底部には「安永元天辰(一七七一)ノ十二月吉日」の年紀が見える。
素戔嗚尊
旧村社
4月1日