まつばらはちまんじんじゃ
埼玉県桶川市川田谷1329
口碑によると、当社は鎌倉の三崎が落武者となって川田谷の各所に土着し、背負って来た八幡様の御神体を祀ったのに始まる。三崎とは山崎・岡崎(のち磯田姓)・田崎の三家を指し、山崎家が薬師堂に、岡崎家が田向に..
口碑によると、当社は鎌倉の三崎が落武者となって川田谷の各所に土着し、背負って来た八幡様の御神体を祀ったのに始まる。三崎とは山崎・岡崎(のち磯田姓)・田崎の三家を指し、山崎家が薬師堂に、岡崎家が田向に、田崎家が松原にそれぞれ居を構えたという。このうち、田崎家は御神体を背負ってきた縁で、近年まで「鍵元」と称して当社の扉の鍵を所持していたほか、当社の正月飾りなどをする役を担っていた。同家は当社の東北三〇〇メートルほど離れた所にあり、屋敷に大人三人抱えもある杉の大木がそびえていたことにちなんで「一本杉」の屋号で呼ばれる。 現在、本殿には、先の口碑に伝えられている神体とされる騎乗の八幡大明神像(全高四五センチメートル)と、「八幡宮御奉前下川田谷村」と墨書される金幣が奉安されている。ほかに、元禄十一年(一六九八)に領主牧野氏から奉納された神鏡(牧野氏の家紋「三つ柏」が刻まれる)や享和二年(一八〇二)に龍泉谷実顕により揮毫された「八幡宮」の社号額があり、いずれも当社の歴史を語る貴重な史料として大切にされている。 明治初年の社格制定に際して、当社は無格社とされた。下って昭和五十二年に社殿を再建した。
誉田別尊
無格社
9月15日