『風土記稿』川田谷村の項に、「諏訪社 社頭三石天正十九年賜ひし御朱印の文に足立郡河田谷郷の内とあり、石戸領の総鎮守なり」と載り、境内に建つ文化十三年(一八一六)の敷石供養塔にも「石戸領二十一ケ村氏子中」と刻まれているように、当社は古来、石戸領二十一か村の総鎮守として崇敬されてきた。この「石戸領二十一か村」とは、滝馬室・原馬室・原馬室枝郷小松原・上日出谷・下日出谷・川田谷・川田谷枝郷樋詰・菅原新田・領家・藤波・藤波村枝郷古泉・中分・畔吉・小敷田・小林・石戸宿・下石戸上・下石戸下・高尾・荒井・荒井村枝郷北袋の諸村である。
鳥居に掛かる扁額の銘文によると、当社の社殿は天保八年(一八三七)七月に再建されたが、同十五年正月に火災に遭って全焼したため、氏子の各村相計り、社殿を再建した。『明細帳』によれば、明治六年に村社となった。祭神は建御名方命である。