当地は富士見市の東部、荒川と新河岸川に挟まれた低湿地にあり、戦国期扇谷上杉氏に仕えた難波田氏の館跡がある。
南畑の地名は、『風土記稿』に「元難畑或は難波田と書しが、当村は荒川と新河岸川の下流に添し地にて、屡水災に罹りしを、土人憂ひて村名の文字悪き故ならんと改めたき由、安永元年御代官久保田十左衛門が支配たりし時、公に訴しかば松平右近将監より下知ありて、今の如くに書改めしと云」とある。当社は、往古新河岸川の蛇行により出来た川に突き出した地に鎮座し、川を背にして村を望んでいる。
創建については、文安元年一月大宮高鼻に鎮座する氷川神社から分霊したとの伝えがある。『明細帳』には文亀ニ壬戌年二月一四日再営の棟札の存在を記録するが、現在は不明となっている。
祭神は健速素盞嗚命であり、神体は『風土記稿』にも見える長さ一尺の石棒で、「宮元」と呼ばれる元永代総代宅に保管されている。
明治期、字山場の山場神社及び天照大神が本殿に合祀となり、字町田の稲荷神社が境内に合祀された。
江戸期まで当地の本山派修験十玉院末の西廓山万蔵院が別当を務めたが、この寺は神仏分離により廃寺となった。