ごせきいなりしゃ
埼玉県さいたま市桜区五関155
当地は鴨川右岸に位置する農業地域である。五関という地名が示すように、かってこの辺りには鴨川の水を用水として利用するための多くの堰が設けられていて、この村が開かれたころには、そうした堰が地内に五か所あ..
当地は鴨川右岸に位置する農業地域である。五関という地名が示すように、かってこの辺りには鴨川の水を用水として利用するための多くの堰が設けられていて、この村が開かれたころには、そうした堰が地内に五か所あったものと思われる。これらの堰の中でも最も大きいものが千貫樋で、『風土記稿』では小名の一つにもなっている。 当社は五関の鎮守として創建され、文政十年(一八二七)に神祇伯家から「正一位稲荷大明神」の神璽を受けている。この神璽は、神璽勧進帳や桐の筥に納めた稲荷大明神像と共に本殿に奉安されている。 『風土記稿』五関村の項に「稲荷社 村の鎮守なり、東福寺の持」とあるように、当社は江戸後期には約二五〇メートル北西方にある真言宗東福寺によって管理されていた。 神仏分離の後、当社は明治六年に村社になり、昭和七年に字水入の無資格社熊野稲荷合社を合祀した。熊野稲荷合社は、明治六年に廃寺となった真言宗妙音寺の鎮守として祀られていた社で、同社に安置されていた貞享二年(一六八五)六月勧請の「熊野大権現」と寛延四年(一七五一)正月勧請の「稲荷大明神」の神牌各一体は当社本殿に納められている。祭神は倉稲魂命・伊弉諾命・伊弉冉命・保食命である。 なお、稲荷大明神像は、昭和十三年に五関村の蓮見兵吉により、昭和十三年に大久保領家の山崎昌輝によりそれぞれ修理が施された。
さいたま市桜区五関の神社
倉稲魂命、伊弉諾命、伊弉冉命、保食命
旧村社
3月初牛
なし