つきよみしゃ
埼玉県さいたま市桜区神田799
当地は鴨川左岸の自然堤防上に位置しかつては水田地帯であった。神田の地名は、古来伊勢神宮の神領であったことに由来するという。 旧神職家の神山正男家所蔵の嘉永四年(一八五一)「神田月讀宮之由緒」によれ..
当地は鴨川左岸の自然堤防上に位置しかつては水田地帯であった。神田の地名は、古来伊勢神宮の神領であったことに由来するという。 旧神職家の神山正男家所蔵の嘉永四年(一八五一)「神田月讀宮之由緒」によれば、当社は人皇六代孝安天皇二十年の創建とされる。当時神田地内に伊勢田と称す一反五畝四歩の除地があり、ここで収穫された初穂を浦和駅(現浦和市)の調神社に納入して伊勢神宮に奉納していた。往時は一丁余り離れた八王子村(現与野市)字首塚に鎮座していたが、夫役も負担となる小村であったため、天正年間(一五七三~九二)に当村から五町歩余を八王子村に譲り、代わりに月讀社を当地に引き移した。この時、当社が一宮氷川神社と同体(祭神が同一の意か)であったために、俗に氷川神社と称したという。 中世以来、月待信仰と調神社が発音上一体化され、調神社は月讀社とも称されたことから、当地と関係の深い調神社(月讀社)を勧請して、農耕神として祀ったのであろう。 『風土記稿』神田村の項に「氷川社 村の鎮守なり、永福寺の持、末社 稲荷社」と載るのが当社である。 明治に入り、氷川社として神田村の村社に列した当社は、旧来に復したいという村民の希望により、明治二十三年に社名を月讀社と改称し、祭神も須佐之男等を改めて月讀命とした。
埼玉県さいたま市桜区神田に鎮座する、孝安天皇20年(紀元前373年)に創建されたと伝えられる古社
月読命
旧村社
孝安天皇20年(紀元前373年)
3月7日
なし