だいとうしんめいしゃ
埼玉県さいたま市浦和区大東1-9-13
当地は近年まで領家と呼ばれ、平安時代以降の荘園領主「領家」に由来するといわれる、文献上の初見は永禄三年(一五六〇)の岩槻城主太田資正判物で、「大宮・浦和之宿、木崎・領家方」と見える。 当社の由来は..
当地は近年まで領家と呼ばれ、平安時代以降の荘園領主「領家」に由来するといわれる、文献上の初見は永禄三年(一五六〇)の岩槻城主太田資正判物で、「大宮・浦和之宿、木崎・領家方」と見える。 当社の由来は明らかではないが、本殿の内には一面に小石が敷き詰められ、あたかも伊勢院宮のお白石を模倣しているかのおうである。 『風土記稿』によれば、領家村の鎮守は北隣の下木崎村にある三室明神社であった。しかし、領家村の人々は小字ごとにそれぞれの神社を奉斎し、小名大東で祀られたのが当社であった。 明治に入って当社は領家村の村社となったが、明治二三年の棟札を見ると、「神明ぐう氏子中 廿三軒」とあり、当時の領家の全戸数七十余と比較すると、旧来の大東で祀り続けてきたことがわかる。ちなみに、領家のうち字館野は八幡社を、字南箇は稲荷社を祀っていた。ところが、明治二十二年に当地が木崎村の大字として編入されたため、同四十年に旧領家村の各社は御室社(旧三室明神社)に合祀されることとなった。しかし幸いにも当社の社殿及び境内はそのまま存続されたため、その後も従来どおり大東の人々は神明社を祀り続けた。年を経て、合祀を解きたいという氏子の要望が次第に高まり、昭和三十八年の当社社殿の大改修を機に、念願であった三室社からの神霊の復祀を遂げ、併せて神社本庁に登録し、名実共に再興を果たした。
さいたま市浦和区大東に鎮座する、旧領家村小名大東の鎮守社
天照大御神