せがさきみしまじんじゃ
埼玉県さいたま市浦和区瀬ヶ崎2-15
瀬ケ崎は、元来は木崎村の一部であったが、元禄三年(一六九〇)の検地帳に「瀬ケ崎村」と見えることから、そのころには既に分村していたものと思われる。 この瀬ケ崎村の鎮守として祀られてきたのが当社である..
瀬ケ崎は、元来は木崎村の一部であったが、元禄三年(一六九〇)の検地帳に「瀬ケ崎村」と見えることから、そのころには既に分村していたものと思われる。 この瀬ケ崎村の鎮守として祀られてきたのが当社である。創建は、口碑によれば、三島了然なる人が伊豆の三島より来て、中尾村の吉祥寺で修行した後、当地に青柳山東泉寺を建立して開山となり、更に後に伊豆の三島大社から分霊をその境内に勧請したという。その年代は明らかでないが、『風土記稿』には「天台宗、中尾村吉祥寺の末、青柳山普光院と號す、開山を玄性と云、寂年を傳へざれど、十四世圓海は享保三年正月九日寂すと云へば、玄性が時代も大抵推て知るべし、本尊は彌陀を安置せり」と記されており、あるいはこれに見える開山の玄性なる僧が、口碑にある三島了然なる人物に当たるのであろうか。また、同書に当社は東泉寺の境内社として「三島社。村の鎮守にて、第六天牛頭天王、天満宮を合祀せり」と載る。 神仏分離により、当社の境内は東泉寺から分けられ、明治六年に村社になったが、同四十年に上木崎の村社足立神社に合祀された。しかし、合祀後も当社の社殿はそのまま残され、境内も一〇人持ちの土地として守り続けられてきたことから、昭和二十年代に入って間もなく当社の神霊は足立神社から旧地に復することができた。
さいたま市浦和区瀬ヶ崎に鎮座する、三島大社の分霊を勧請して創始した社
事代主大神
旧村社
6月1日