当地は元荒川右岸の自然堤防上に位置する。慶長十二年(一六〇七)には「足立郡箕田内前砂村御検地水帳」(江原家文書)が作成されており、村の開発は江戸時代以前にさかのぼると思われる。
当社の創建は詳らかではないが、境内には「江原又左衛門惣氏子」と刻まれた寛文九年(一六六九)の石鳥居があり、このころ既に前砂村の鎮守であったことが知られる。恐らく、当社は村の開発と前後して当地に勧請されたと思われる。ちなみに、江原又左衛門は当村の名主を累代務めた家柄で、現在の江尻家がその後裔に当たるという。
『風土記稿』前砂村の項には「氷川社 村の鎮守なり、宝蔵院持、 末社 神明熊野天神合社 稲荷客人諏訪合社」と記されている。また、宝蔵院は、同蓄によると、真言宗箕田村(現鴻巣市)の龍珠院の末寺で、氷川山と号したという。開基・開山などは不詳であるが、当社の北一〇〇Mほどの所にあるその跡地(明治四年に廃寺)には観音堂や元禄八年(一六九五)をはじめとする法印墓石八基などがある。
当社は、明治初年に別当の宝蔵院から離れ、明治六年に村社となった。祭神は素戔嗚尊と稲田姫尊の二柱である。また、当社の祭神は、白が嫌いなので氏子内に白塗りの壁もないし、白い鶏を飼ってもいけなかったという。