なかあらいいなりじんじゃ
埼玉県上尾市中新井65
『風土記稿』によると、神仏分離以前の当社は西光寺の境内社として祀られていた。西光寺は天台宗の寺院で、もと西方の寺家山の地にあったが、秀恵という僧が現在地に移して中興したと伝えられる。当社の創建は西光..
『風土記稿』によると、神仏分離以前の当社は西光寺の境内社として祀られていた。西光寺は天台宗の寺院で、もと西方の寺家山の地にあったが、秀恵という僧が現在地に移して中興したと伝えられる。当社の創建は西光寺の中興以後のことと思われるが、明らかでない。ちなみに、同じ西光寺の境内社であった「牛頭天王」の石祠には「寛政己酉年(一七八九)六月吉祥日」「中新井村氏子中」と刻まれている。 元来、当社の本殿は一二〇センチメートル四方に丸太を柱として掘立て、茅で屋根を葺いた形の建物で、氏子は毎年「屋根改い」といってこの屋根の茅を葺き改めるのを例としてきた。太平洋戦争後、社の建物の傷みが激しくなってきたため、小学校で奉安殿として使われていた建物を譲り受け、これを境内に移築して神体を収めた。ところが、間もなく村内に悪い病気が流行し、近くの納屋では夜な夜な狐の鳴き声がするようになった。氏子一同は、これを「稲荷様の祟り」として、神体を元の社殿に戻したところ、病気も治まり、狐の鳴き声もしなくなった。 その後、小学校から移築した社殿は拝殿とし、本殿は従来通り毎年茅を集めて「屋根改い」を行ってきたが、近年は茅材の収集困難に加え、屋根替えの後継者不足が深刻な状況になってきた。そこで、臨時総会を開いて氏子一同で協議した結果、従来の本殿を廃し、平成三年二月に切妻造平入り瓦葺きの新しい本殿を建立した。
倉稲魂命
初牛:3月初牛 お日待:10月15日
なし