あなだかんのんどう
長野県松本市原414
(看板に記載していた由来から抜粋)穴田観音堂は、江戸時代の初め以来(1180年)、この地の東側にあった有福山常光寺の境内堂だった。当時は現在地より300米程東の山麓にあったが、江戸時代の初め(161..
(看板に記載していた由来から抜粋)穴田観音堂は、江戸時代の初め以来(1180年)、この地の東側にあった有福山常光寺の境内堂だった。当時は現在地より300米程東の山麓にあったが、江戸時代の初め(1616年)、3度建立する。その後1761年に観音堂の東側に移建されたが、江戸時代末期の1862年に不審火により、常光寺が焼失したが、幸いにも観音堂は焼失を逃れた。明治3年(1870年)には明治政府による、廃仏毀釈令により、破棄されるところ、原村の住人はいち早く仏下げを受け、原の所有となった。以来原住民は130余年になってこれを保護し、その祀りを年々歳々行ってきたのである。しかし、長い年月により、傷みが多くなり、昭和51年(1975年)5月には原町会内外の信徒多数の浄財によって木の香り高い現在の観音堂が再建された。
聖観世音菩薩
・信濃百番札所 悟五番 ・松本観音札所 第二十八番