元亀元年「一五七〇年」室町幕府の足利将軍義明の時代、野庭郷をいわれた頃、御当地開発者、臼居杢右エ門氏が、大和国吉野山の地主神金峯神社別名蔵王権現社に、勧請して御身体を授り、野庭郷字西ノ町権現山に蔵王権現社として建立されたものと言う。
祭神は日本武尊で有る「一七八九年」寛政元年現在地に移転された。其の後神殿の老朽に伴い、明治三年十月以て造営されて、此の年神祇官により、野庭神社御嶽社の稱号を授けられた。祭神の新したかなることは有名で、爾来御当地の氏神として信仰の中心として今日に至っている。(上野庭町内会文化部掲示より)