かわさきはくさんじじゃ
埼玉県ふじみ野市川崎261
当地は市の北部、新河岸川が大きく蛇行した内側にあり、川に突き出たようになっていることから川崎と名づけられた。川崎では縄文期の遺跡が多く発掘され、当社の後方にもそのころの貝塚が見られる。 当社は江戸..
当地は市の北部、新河岸川が大きく蛇行した内側にあり、川に突き出たようになっていることから川崎と名づけられた。川崎では縄文期の遺跡が多く発掘され、当社の後方にもそのころの貝塚が見られる。 当社は江戸後期に開設された福岡河岸に近く、辺りは河岸場のため回漕店や料理や、船頭の履く足袋・股引の専門店などがあり、大正初期まで大変なにぎわいであったというが、大正末期の河川改修により河岸の歴史も閉じられ、今ではただ、屋敷や土蔵のたたずまいに往時がしのばれる。 『風土記稿』に当社は元、福岡村治右衛門の持ちで、治右衛門が当地に移るとともに移転したことを載せる。その年代については明確にできないが、元禄年中の『川崎村屋敷検地水帳』に見えることから、このころには当地に鎮座していたことがわかる。 川崎には当社と氷川神社があり、由来は不詳であるが『風土記稿』に「風俗は重陽の佳節を一五日に祝ふを常とす」とあり、現在も月遅れの一〇月一五日が両社の祭日となっている。 当社の祭神は伊邪那美命で、一間社流造りの本殿に白幣を祀る。 境内には末社の八坂神社・稲荷神社・水天宮の小祠と、社前の柊に注連縄を巡らせ、これを大六天と称している。
伊邪那美命
一間社流造
なし