寛永7年(1630)、天野周防守雄光公の室・智光尼は、子の菩提を弔うため一寺建立を発願し、江戸覚印派の一僧侶・大麟玄綱に、東叡山(上野寛永寺)の 東・車坂あたり(現上野駅近辺)の土地700坪を寄進しました。大麟和尚は、師匠である覚印周嘉を開山(初代住職)に、兄弟子の古道宗亘を第二世に、自身 は第三世住職として「智光院」を創建しました。
元禄11年(1698)、智光院は浅草新谷町(現西浅草)に移転しました。浅草での200年以上の歴史を経て、大正元年(1912)に、区画整理により、当地に移転しました。
墓地には、江戸北町奉行として活躍した永田備後守正道の墓があります。
また寛正年間(1460-65)造立の板碑が保存されているほか、承応4年(1655)につくられた地蔵菩薩坐像も安置されています。