やさかじんじゃ
京都府京都市東山区祇園町北側625番地
創祀については諸説ありますが、 社伝としては以下の2つの説が伝わります。 一つ目は斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山(ごずさん)に座した素戔嗚尊(すさのをの..
創祀については諸説ありますが、 社伝としては以下の2つの説が伝わります。 一つ目は斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山(ごずさん)に座した素戔嗚尊(すさのをのみこと)を当地(山城国愛宕郡八坂郷(やましろのくにおたぎぐんやさかごう)に奉斎したことにはじまるという説。 二つ目は貞観18年(876)南都の僧・円如(えんにょ)が当地にお堂を建立し、同じ年に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に降り立ったことにはじまるという説です。 また、本殿の下には現在は漆喰で固められていますが、平安京の東の鎮めである青龍の棲む龍穴があると伝えられており、東山の麓に位置する当地は古来より神を感じる神秘的な地であったことが窺えます。 その後元慶元年(877)、疫病流行に際して「東山の小祠」(祇園社)に祈りが捧げられ流行が止んだことが発展の契機とされています。 長徳元年(995)には王城鎮護の社として尊崇された二十一社(のち二十二社)に数えられました。 平安時代の様子を知る史料は限られますが、延久2年(1070)の太政官符には、「東は白河山、南は五条(松原)以北、西は鴨川、北は三条以南」で囲まれた広大な土地が境内地として定められています。 地域の人から「祇園さん」と親しみを込めて呼ばれる八坂神社。これは八坂神社が慶応4年(明治元年(1868))まで「祇園社(ぎおんしゃ)」「祇園感神院(ぎおんかんしんいん)」と称したことに由来します。
江戸時代まで神社とお寺は今よりずっと近い存在でした。八坂神社では社僧(しゃそう)と呼ばれる僧形(そうぎょう)の人々が奉仕し、境内には薬師堂や鐘楼などもありました。
しかし、明治政府の神社とお寺をはっきりと区別する神仏分離政策を受け仏像などは近隣の寺に預けられ摂末社に至るまで仏教的な名称が改められて、今日見るような境内景観が形成されるきっかけとなりました。 理由は不明とされていますが、比叡山延暦寺の末寺となっていた時期もありました。 古くは興福寺、その後比叡山延暦寺の末寺(末社)であった祇園社(八坂神社)ですが、元亀2年(1571)織田信長による比叡山焼き討ちにより比叡山の支配から離れ、独自の祇園信仰を続けることとなり明治へそして現在に至るのです。
八坂神社は、京都府京都市東山区祇園町にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社である。通称として祇園さんとも呼ばれる。...
素戔嗚尊, 櫛稲田姫命, 八柱御子神
二十二社(下八社), 旧官幣大社, 別表神社
(伝)斉明天皇2年(656年)
祇園造(八坂造)
6月15日
祇園祭(7月), 白朮祭(1月1日)
御朱印受付9:00~16:00
無料
約40分
有料駐車場有り
有り