かもちじんじゃ
鳥取県日野郡日野町金持1490
天常立尊・八束水臣津奴命・淤美豆奴命を祭神とし、近世までは「三体妙見宮」といわれていました。 社伝によると、出雲国菌妙見宮から勧請されたといわれています。 勧請された年代 は不明です。維新後に、現..
天常立尊・八束水臣津奴命・淤美豆奴命を祭神とし、近世までは「三体妙見宮」といわれていました。 社伝によると、出雲国菌妙見宮から勧請されたといわれています。 勧請された年代 は不明です。維新後に、現社名に改称されました。「金持」という景気のよい地名は、 タタラか鍛冶に係わるカヌチ・カナジの語から出た地名だろうといわれています。 また、「太平記」に登場する金持景藤をはじめ、「吾妻鏡」「愚管抄」 「大山寺縁起」などに
名が出る金持氏の本拠地であったと思われています。 また、戦いに勝利し後醍醐天皇が京へ遷幸の折には、天皇の左側で錦の御旗を掲げ 上洛しました。その時、この金持神社へと立ち寄られ、聖運萬安の祈願をかけ給われたと伝えられています。
金持神社(かもちじんじゃ)は、鳥取県日野郡日野町金持(かもち)にある神社。旧社格は村社。
天之常立神
村社
810年
4月25日・7月25日・10月25日・12月31日~1月3日
有り