ほんまちだすがわらじんじゃ
東京都町田市本町田802
室町期の永享年間、近在の大沢左近正次は、先祖の大沢七郎正純が鎌倉期元応年間に京都北野天神へ詣でた折に得た天神像(大沢家の守り本尊だったと言われます。)を、当地井手の沢の山上に奉安いたしました。 ..
室町期の永享年間、近在の大沢左近正次は、先祖の大沢七郎正純が鎌倉期元応年間に京都北野天神へ詣でた折に得た天神像(大沢家の守り本尊だったと言われます。)を、当地井手の沢の山上に奉安いたしました。 先述の中先代の乱で戦死者累々としたであろう当地に奉安されたということは、想像の域ながら、鎮魂という動機もあったと思われます。また足利将軍家が京都北野社を信仰していたこと、室町期には天神様は冤罪を晴らす神なる御性格が広まっていたこと等も関係しているのかもしれません。 時は下ってその子孫大沢玄蕃(げんば)は、江戸期初頭の寛永7年(1630)新たに渡唐の天神像を刻ませてここに奉安いたし、この地を寄進して本町田の鎮守としたのが当社の縁起であります。 尚、昔の本町田村はとても広い地域でしたが、天正10年(1582)分村が施行されました。本町田村から原町田村、大谷村が分かれ、新たなそれぞれの村は元の本町田村と同じ菅公を鎮守として祀ったのです。村民統治の必要性からであると共に、それ以前より村全体の人々から親しまれていたことを示すものと思います。 享保7年(1722)御本殿が再建され、天明5年(1785)社殿が造られました。 明治35年(1902)国の施策により、千眼天神社、大六天社、七面社、稲荷社、白山社の五社を合祀し、その後も菅公のご神徳と氏子崇敬者の篤い信仰により発展してまいりました。 主な事蹟を挙げれば、昭和8年には氏子の奉仕により長い石階段が造られました。 昭和11年社殿の屋根を銅板葺きとし、昭和20年には戦禍を慮って御神体が奉遷されています。 昭和47年神楽殿社務所が建設され、昭和61年には拝殿を除く社殿が再建されました。 平成11年には菅公御神忌千百年祭記念事業として新神楽殿が、平成24年には新拝殿御造営が竣功いたし、平成29年3月参集殿が竣功いたします。
町田市本町田の旧跡井出の沢古戦場にある神社。町田天満宮、南大谷天神社とともに町田三天神の一つ。
菅原道真公
旧村社
寛永7年 (1630年)
有り