熊野第ー王子之宮
平安時代に「蟻の熊野詣」といわれるほど賑わった熊野詣は、目的の熊野三山巡拝の前に、熊野権現の分霊を祀った九十九の王孑社を巡拝しながらたどっていきます。京の都から船で淀川を下り、上町台地へ上陸する天満の港に「第ー王子之 宮」がありました。
ここが熊野への出発点で第ー王孑に参拝して、御祓を受けた後、熊野詣に出発したと言われています。
その後、四天王寺の西門烏居近くの「熊野神社」に鎮座していたと伝えられていますが、大正4年2月10日に堀越神社に合祀され、「熊野第ー王子之宮」として現在に至ります。また、熊野権現の神使はヤタガラス三本の足を持つ力ラスとして描かれています。
日本サッカー協会のシンボルマークでお馴染みですが、神武天皇のご東征を道案内したり、その功績は数多く伝えられてしいます。
茶臼山稲荷神社
堀越神社境内に鎮座します。古来より商売繁盛の神として人々の信仰を集めています。
その昔、天王寺 茶臼山の山頂に祀られておりました。
大坂夏の陣の際に徳川家康が茶臼山稲荷の白狐に危機を救われたことから、家康の信仰が厚かったと言われています。大坂夏の陣の後、現代の処に祀られるようになりました。
徳川時代、大阪城代が新たに任に就くと、茶臼山の家康陣所の跡に敬意を表するを例としましたが、その都度堀越神社に詣で幣帛を奉り、燈籠を献じ、盛んに礼典に尽くしたと伝えられています。
太上神仙鎮宅霊符神
御祭神 ちんたくさん(太上神仙鎮宅七十二霊符尊神)
ご神木に接して鎮座するお守りやお符の元祖の神様です。節分や七夕など星祭りはこの神様の家内安全、商売繁盛のお祭りです。
5月28日、病院の帰りに天王寺に立ち寄り、堀越神社、四天王寺を参拝させて頂きました。
堀越神社の由来
第33代推古天皇の御代、時の摂政聖徳太子が、太子の叔父君に当たらせられる第32代崇峻天皇の徳を偲んで、風光明媚にして長松直々たる茶臼山の地をえらばれ、四天王寺建立と同時に当社を創建されたものであります。
古くより明治の中期まで、境内の南沿いに美しい堀があり、この堀を越えて参詣したので、堀越という名が付けられたといわれています。この地は、有名な慶長・元和の大阪冬の陣、夏の陣の古戦場としてかずかずのエピソードと共に知られています。
古くから大阪では「堀越さんは一生に一度の願いを聞いてくださる神さん」との言い伝えがあります。また、男の四十二才の厄年には、東向きの神社にお参りすると厄除けになると言われており、毎年多くの方がお参りされます。