あゆかいはちまんぐう
山形県西置賜郡白鷹町鮎貝2303-2
創立沿革については詳らかでないが、 社伝によると、 康平二年源義家東夷征伐の街、当地三本杉の下に土塁を築き、錦の御旗を御神体として、随の武士たちを同列させ、戦勝を祈願し凶族を誅め、凱歌を奏するにあた..
創立沿革については詳らかでないが、 社伝によると、 康平二年源義家東夷征伐の街、当地三本杉の下に土塁を築き、錦の御旗を御神体として、随の武士たちを同列させ、戦勝を祈願し凶族を誅め、凱歌を奏するにあた り正八幡宮の一祠を創従士赤間主膳をその別当に任じたのが起りとされている。慶長三年上杉氏の所領となり、代々領主の祈願所領守護神として深く尊崇。慶長八年中条氏に よって中興的再建があったと言われている。 当宮に遺る棟札等によれば、さらに寛延二年 にそれぞれ修復が加えられた。 その後社殿は大破し、江戸末期、天保十二年から十四年に かけ、十八ヶ村の氏子の寄進金をもって再建。 これが現在の本殿と拝殿(現在社務所に転 明治二十九年に旧八幡の地より移建、同 三十一年竣工。その年に拝殿を 再建。昭和十九年、同五十五年 幣殿を改 本殿は天保の改新葉)以 大きな変化はなかったが、ただの 面で、明治二十九年のもとの羽を 銅板葺に、さらに大正十年再び手の銅板葺 に改め、拝殿を再建、昭和五年神饌所の新設 同十九年幣殿新設、同五十五年に改築。 同三 十四年斎館新設。同五十一年広前参道石新設。 明治五年村社、同十二年郷社、昭和五年 県社に列格。 同三十四年別表神社となり鮎貝 八幡宮と改称。
県指定文化財の本殿は、木造単層三間社流 造り、造り木造り銅板葺。三方に高欄 付縁を巡らし脇障子を備えている。軸は円 柱に台輪 内法長押二重の切目長押し板壁の 正面三間に吊り、側面背面は横 羽目板内部は板敷入母屋造り入り、板 (木葺形)屋根の安置。斗棋は二手 先、軒は二軒繁垂木で板輪があり中備えに 彫刻を配している。 屋根の箱に菊の紋 を付け両端部は朱色の鬼面を以て飾っている。妻飾りは二重大東で、虹梁間を上 に飛翔する鳳凰の彫刻を以て埋めている。 木を支承する大瓶束の左右には雲文の 形が付き、各大瓶束にはがされている。 虹梁表面はいずれも波紋状にいた若葉紋 が、板輪には波間に遊する亀の姿が彫 られ、中備えには牡丹に、葉になどの 彫刻が挿入されている。 鼻には葡萄 の薬がりとなって付いている。脇障子 の彫刻は中国の故事としており、懸魚 意匠もそれぞれに綴ったものがある。 その 他の手 そして高の竜など各所に 入念な彫刻が施されている。 江戸末期の建築ではあるが、意匠的技術的に優れたものがあ り、地方棟梁木彫師の技術を知る上で貴重な
作例である。 例大祭の宵祭は神輿渡御が中心であるが中 でも悪魔悪疫災禍を払う威力をもつとされて いる獅子舞で、当神社の獅子舞は百足獅子の 七五三舞舞手の足の踏み方が七五三 転)と称し、獅子頭は正徳二年京都の公卿の 作とされ、獅子舞の創始は同年鮎貝の宮城助 四郎氏より演舞奉納されたのを起源としてい る。獅子連が十日間にわたり精進潔斎し、毎 年厳正に執行している。
鮎貝八幡宮(あゆかいはちまんぐう)は、山形県西置賜郡白鷹町にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。応神天皇(八幡神)を主祭神とし、倉稲魂命(うかのみたまのみこと、稲荷神)を配祀する。
応神天皇 倉稲魂命 稲荷神
別表神社 二級社 旧県社
1059年
十月十日
本殿 県指定文化財
無料
有り