いめじんじゃはちまんぐう
新潟県小千谷市桜町1314
天香語山命が、越国平定を命じられ、この地に着いた。始めは上伊米(同市両新田)に住み、後に下伊米(同市桜町)に住み、その後、現在伊米八幡宮がある伊米ヶ原と呼ばれる地に住んだ。『伊米八幡宮古証書上』には..
天香語山命が、越国平定を命じられ、この地に着いた。始めは上伊米(同市両新田)に住み、後に下伊米(同市桜町)に住み、その後、現在伊米八幡宮がある伊米ヶ原と呼ばれる地に住んだ。『伊米八幡宮古証書上』には、「伊米大神は伊米彦命にて、此所に鎮まり給う。即ち伊米原と申す也。一男一女を出産す。兄命の名は神稲長穂、妹の姫の名は伊米多良姫と申す。伊米長穂王坐したる所を今に上伊米と言い、伊米多良姫坐したる所を下伊米と言う。」と記されている。また、この地にいた頃、手栗彦命とも呼ばれていたという。源義家がこの地を通った際、この地の蝦夷と戦になった。家来の永野氏は義家を遠国橋の下に隠し、命を救った。義家は兜の中の守り本尊を八幡宮として祀り、永野氏にこの地を治めさせた。又は、1064年、源義家が、奥州から京都への帰り、行く時に戦勝祈願した結果奥州平定が出来たので、お礼に永野(後の中町)・阿部又は中町・永野の二人の家来に八幡神社を守るために残したという。その後、八幡宮は伊米神社と共に祀られた。
伊米神社八幡宮(いめじんじゃはちまんぐう)は、新潟県小千谷市桜町にある神社。『延喜式神名帳』に魚沼郡五座の一つとして記されている「伊米神社」の論社の一つ。
天香語山命
式内社(小)越後国魚沼郡伊米神社
関越自動車道「小千谷IC.」より車で2分