いきしろじんじゃ
滋賀県草津市片岡町245
創祀年代不詳であるが、天智天皇の勅願により大和国三輪大社から分祀されたと社伝にある。延喜式神明帳栗太八座の一で、用明天王即位二年夏悠紀地方に定められ印岐志呂と名付けられたことをもって社名にしたと伝え..
創祀年代不詳であるが、天智天皇の勅願により大和国三輪大社から分祀されたと社伝にある。延喜式神明帳栗太八座の一で、用明天王即位二年夏悠紀地方に定められ印岐志呂と名付けられたことをもって社名にしたと伝えられる。 社伝に仁寿元年神位正六位に、また元慶元年正一位を授けられたとある。 永暦年中源義朝尾州攻略のとき頼朝の武運を祈願し、建久元年に頼朝この報賽のため神殿と神田を寄進された。建武三年正月比叡山僧宥覚が山門一千余を率いて足利軍高師直と戦った時、更に同年九月脇屋義助が延暦寺の山徒と共に尊氏の将京極道誉と戦って戦場となり社殿は勝亡したが、後足利氏によって再建された。 社殿棟札によると織田信長が佐々木攻めの時再び戦場となり社殿炎上したが、慶長四年に芦浦の観音寺詮舜が再建している。その後観音寺長賢も社殿を修理し、寛永六年社殿を再建した。今の社殿は寛政四年観音寺慈観が造営したものである。 明治九年郷社に列し、大正六年県社となる。 同七年神饌幣帛料供進指定。(滋賀県神社庁HPより)
印岐志呂神社(いぎしろじんじゃ)は、滋賀県草津市片岡町に鎮座する神社である。
大己貴命
式内社(小)、旧県社
天智天皇御宇
5月3日
JR草津駅西口よりバス「穴村経由びわこ博物館行き」で「芦浦」下車、徒歩6分