だいいなりじんじゃ
神奈川県小田原市城山1-22-1
大稲荷神社の由来伝記によれば、小田原城、北条時代に、修験者が旧竹ノ花地区内に修験堂を建立した。武田家の臣曲渕氏が主家滅亡後、徳川家に随身。この地を釆地として賜り修験堂に稲荷大明神をおまつりしたこ..
大稲荷神社の由来伝記によれば、小田原城、北条時代に、修験者が旧竹ノ花地区内に修験堂を建立した。武田家の臣曲渕氏が主家滅亡後、徳川家に随身。この地を釆地として賜り修験堂に稲荷大明神をおまつりしたことに始まり、その後天正十八年(西暦一五九〇年)、初代大久保忠世公小田原城主となり、京都伏見稲荷大社の最北座田中大神を合祀し、信仰ことに篤かったが、子忠隣公の時に幕府の忌諱に触れ改易国替えとなりそれ以来永年に亙り祭祀するものも無く荒廃にまかせた。 貞享三年(西暦一六八六年)、忠朝公小田原に帰藩が許されその子忠増公の時に家臣清水氏の息女並びに側近内芝氏に御神託あり、その御告に従い小田原城の鬼門除稲荷として再興したため、忠増公には老中執政職に昇進。その御神徳の崇高広大にしてそのあらたかさに恐懼感激し、宝永三年五月(西暦一七〇六年)、現在地の谷津山に御社殿を造営せられたものである。 ・宝永八年(西暦一七一一年)四月、正一位神位宣命、正一位大稲荷大明神と奉称 ・同八年五月、忠増公は社領七十石寄進 ・明治の御代には常宮昌子内親王(明治天皇第六皇女)、周宮房子内親王(明治天皇第七皇女)の両殿下が御用邸御滞在の折にしばしば正式・略式の御参拝をせられ、社前の左右に夫々松樹をお手植えせられた。 ・元宮の神紋は行者輪宝で当地方唯一の春日造で屋根は檜皮葺である。その覆屋根は昭和六十二年に銅板葺にした。
大稲荷神社は小田原市城山にある神社。愛称は「だいなりさん」。 境内社に錦織神社、愛宕神社、田中稲荷神社、山神社などがあり、兼務社に神山神社、子ノ神社、市方神社、稲荷神社、諏訪神社、北ノ窪天神社、若宮八幡宮、五社稲荷神社がある。
田中大神 宇迦之御魂大神
1590年(天正18年)
だいなりさん
5月4日 例祭
1月1日 歳旦祭 2月3日 節分追儺祭 2月17日 祈年祭 2月上午の日 初午祭 5月5日 例祭(神幸祭) 6月30日 夏越の大祓 11月23日 新嘗祭 11月下旬 大麻頒布始祭 12月31日 大祓 毎月1日 月次祭
JR東海道線・東海道新幹線・小田急小田原線・箱根登山鉄道・伊豆箱根鉄道大雄山線 小田原駅から徒歩6分
有り