れいきゅうじんじゃ
長崎県島原市弁天町2丁目7341
島原の乱(1637年-1638年)の後、当地を治めた高力氏により東照宮が勧請されたことに始まる。源家康(徳川家康、東照大権現)を奉斎する。 高力氏は、島原の乱で荒廃した社寺を復興し、他領から百姓を..
島原の乱(1637年-1638年)の後、当地を治めた高力氏により東照宮が勧請されたことに始まる。源家康(徳川家康、東照大権現)を奉斎する。 高力氏は、島原の乱で荒廃した社寺を復興し、他領から百姓を招き入れて農村の再建にも努力している。この東照宮の勧請も民心の安定を願ってのこととされる。 明暦元年(1655年)、高力隆長が圧政と矯奢を咎められ、寛文8年(1668年)に領地を没収された。その後を受けて松平忠房が入部し、以後当社は歴代藩主に崇敬された。 古くは権現山と称し、海岸伝いにしか行けなかったが、寛政4年(1792年)の眉山の崩壊によって埋め立てられ、現在の地形となった。 明治16年(1883年)には高力氏の後を受けた島原藩主松平氏(深溝松平家)、忠定・好景・伊忠・家忠・忠利・忠房・忠和の七代の霊と、宗像大神(多岐津比売神・多岐理比売神・狭依比売神の宗像三女神)、稲荷明神を合祀し、現在の社号になった。
霊丘神社(れいきゅうじんじゃ)は、長崎県島原市に鎮座する神社である。旧社格は県社。
徳川家康(東照大権現) 宗像大神 稲荷明神 島原藩主松平氏の霊七柱
旧県社
全国東照宮連合会
10月13日-15日
島原鉄道霊丘公園体育館駅下車
有り。鳥居と公園に置いている機関車C12の間の細道を通り境内に