ぐほうじ
千葉県市川市真間4-9-1
弘法寺は、略縁起によると、奈良時代、行基菩薩が真間の手児奈の霊を供養するために建立した求法寺がはじまりであり、その後平安時代、弘法大師(空海)が七堂を構えて「真間山弘法寺」とし、さらにその後天台宗..
弘法寺は、略縁起によると、奈良時代、行基菩薩が真間の手児奈の霊を供養するために建立した求法寺がはじまりであり、その後平安時代、弘法大師(空海)が七堂を構えて「真間山弘法寺」とし、さらにその後天台宗に転じたとされる。 真間の地は、かつてはすぐ北に六所神社があり、国府が設置されていた古代以来の下総国の中心地であった。そのためここに古くから寺院があった可能性は高く、本来は国府と密接にかかわる寺院であったとの推測もある。 鎌倉時代、この地に及んだ日蓮の布教を受けて、建治元年(一二七五)、時の住持 了性が日蓮の弟子で中山法華経寺の開祖日常と問答の末やぶれ、日蓮宗に転じ、日常の子で六老僧の一人日頂を初代の貫首としたと伝える。 鎌倉末期の元亨三年(一三二三)には千葉胤貞により寺領の寄進を受け、延文三年(一三五八)の日樹置文によれば葛飾郡一帯や千田庄(多古町)に多くの寺領や信徒を擁していたことが知られる。また室町・戦国時代には山下に真間宿または市川両宿といわれる門前町が発展し、賑わいをみせていた。 天正十九年(一五九一)、徳川家康より朱印地三〇石を与えられ、元禄八年(一六九五)には水戸光圀も来訪したと言われる。 江戸時代は紅葉の名所として知られ、諸書に真間山弘法寺の紅葉狩りのことが記されているが、明治二一年(一八八八)の火災のため諸堂は焼失してしまった。その後明治二三年(一八九〇)に再建され、現在に至っている。 境内には、日蓮の真刻と伝える大黒天をまつる太刀大黒尊天堂、水戸光圀が賞賛して名付けたといわれる遍覧亭、袴腰の鐘楼、仁王門、伏姫桜とよばれる枝垂桜があり、小林一茶、水原秋桜子、富安風生などの句碑がある。
平成十八年三月 (境内・市川市教育委員会案内板より)
弘法寺(ぐほうじ)は、千葉県市川市真間四丁目にある日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は真間山。
真間山
日蓮宗
本山(由緒寺院)
737年(天平9年)
三宝尊
行基
1275年(建治元年)
日頂
真間万葉顕彰碑(市有形文化財)
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有り