こうしょうじ
栃木県下都賀郡壬生町本丸2丁目15−31
当寺の開創は、平安時代の初期大同二年(807)と伝え、その後室町期の文明十二年(1480)秀海法印によって中興され、当時壬生の地を領した戦国武将壬生家、とくに三代目綱房公の時代にその外護により寺格が..
当寺の開創は、平安時代の初期大同二年(807)と伝え、その後室町期の文明十二年(1480)秀海法印によって中興され、当時壬生の地を領した戦国武将壬生家、とくに三代目綱房公の時代にその外護により寺格が整ったという。 現本堂は元禄年間に再建されたものを三百年振りに平成十五年、更に改修復元工事を行ったものである。本尊は大日如来、また 瑠璃殿には薬師如来、十二神将、聖観音と六観音を奉安し、下野三十三観音霊場第二十一番札所になっている。 江戸時代まで代々壬生城主の祈願所であり、真言宗檀林所の格式を有し、徳川幕府より御朱印寺院として認められた。又、京都醍醐寺より菊の紋章門跡号の使用を許され、末寺三十二か寺を有した。 現在は真言宗智山派に属している。
医王山
真言宗
智山派
大同2年(807年)
金剛界大日如来
文明12年(1480年)
秀海法印
下野三十三観音霊場21番
東武宇都宮線「壬生」駅から徒歩約10分
有り