すみこいなりじんじゃ
東京都中央区日本橋茅場町3-13-6
純子稲荷神社は、長禄元年(1457年)、太田道灌が千代田城(竹橋北の丸―のちの江戸城)築城の折、守護神として京都伏見稲荷を勧請して城地内・北の丸に創建した”千代田稲荷神社“の縁起をひき継いでおりま..
純子稲荷神社は、長禄元年(1457年)、太田道灌が千代田城(竹橋北の丸―のちの江戸城)築城の折、守護神として京都伏見稲荷を勧請して城地内・北の丸に創建した”千代田稲荷神社“の縁起をひき継いでおります。 千代田稲荷神社は、天正18年(1590年)徳川家康公の江戸城入城後、江戸城(現皇居)内の紅葉山に遷座され、更に、慶長8年(1603年)の江戸幕府の開府に先立ち、天下普請・城地拡張のため、開府前年の慶長7年(1602年)、家臣 長野又四郎により豊島郡千代田村(現・常盤橋)、後の北町奉行屋敷の土手堤に遷座されました。城外への遷座後も、幕府の鎮守神として、又江戸の安泰を祈願する千代田稲荷神社として格式高い祭祀が行われたと伝えられています。 その後、享保6年(1721年)徳川八代将軍吉宗公のご尊意により、千代田稲荷神社は城下の鎮守と庶民愛護の祭神として日本橋小伝馬町(現小伝馬町2丁目)に遷祀されました。 その後、千代田稲荷神社が城下へ御遷座された慶事に因み、当地の町奉行組屋敷諸士・町衆より現在地(亀島・北島町=現在の茅場町2・3丁目)への稲荷神社建立の勧請が行なわれ、元文2年(1737年)、伏見稲荷の御神璽を祭祀する千代田稲荷の御分霊を御霊神として、純子稲荷神社が当地・亀島河岸(現在の茅場町三丁目十三番地)に創建・鎮座されました。 明治維新後も亀島河岸の米穀問屋・北島町の町民により祭事が引き継がれ、殷賑を極めておりましたが、大正12年9月1日(1923年)の関東大震災により社殿は焼失、その後昭和4年(1929年)に再建されましたが、昭和20年3月10日(1945年)の東京大空襲により再び烏有に帰しました。 戦後、昭和27年4月28日(1952年)の占領解除まで再建ならず、他日の再建を期しつつ、昭和40年4月(1965年)より、純子稲荷神社崇敬会により茅場町二・三丁目町会員(旧亀島町・北島町)を中心に浄財寄金等の再建計画が進められ、昭和48年4月20日(1973年)、京都・伏見稲荷大社より御分霊を拝領し、戦災焼失後二十八年の歳月を経て、盛大に再建・遷座式典が挙行されました。ここに、元文二年の創建鎮座以来の御由緒を引継ぎ、広く地域ならびに町内の守護神として奉安され、その御神威は参詣者の崇敬・景仰を集めるところとなっております。
純子稲荷神社崇敬会が管理 「純心な精神を子々孫々に伝え遺すにふさわしく」との意をもって、純子稲荷神社と命名された。
宇迦之御魂大神、左田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四之大神
元文2年 (1737年) 11月20日
2月11日 初午祭
東京メトロ日比谷線・東西線 茅場町駅から徒歩約3分 JR京葉線・東京メトロ日比谷線 茅場町駅から徒歩5分
常時(参拝自由)
無料
10分未満(3分程度)
無し