だいけいじ
群馬県太田市新田大根町1000
寺伝によると、源義朝の長男義平は新田義重の娘婿といわれ、鎌倉悪源太と称される。平治の乱には父に従いないの平清盛を討とうとしたが、戦いに敗れ越前に逃れた。その時に父の死を知り、急遽、京に引き返し清盛の..
寺伝によると、源義朝の長男義平は新田義重の娘婿といわれ、鎌倉悪源太と称される。平治の乱には父に従いないの平清盛を討とうとしたが、戦いに敗れ越前に逃れた。その時に父の死を知り、急遽、京に引き返し清盛の暗殺を企てたものの捕えられ六条河原で切られた。永暦元年(1168)源義平没後、その妻が父新田義重を頼り世良田郷に住み、後に綿打に移り夫の冥福を祈り菩提を弔うため出家して、妙満尼となり治承四年(1180)に 一庵を結んだ。 このことから妙満尼を大慶寺の開基とし山号を妙満山と称し、その後、南朝の維持に力を尽くした綿打入道爲氏の館が建てられ、明徳五年(1394)に足利市の小俣鶏足寺 から明源房空覚上人を招聘して、中興開山第一世として大慶寺を建立した。
妙満山
蓮華院
真言宗
豊山派
大日如来/不動明王
新田義重公の娘、妙満尼
妙満山 蓮華院 大慶寺
ぼたん寺(4月下旬から5月上旬頃には、約150種、3,000株のボタンが大輪の花を咲かせ、大勢の参詣人で賑わいます)
東国花の寺百ヶ寺 群馬第2番 上州新四国八十八ヶ所第35番
有り