ほんしゃみしまじんじゃ
東京都台東区寿4-9-1
1281(弘安4)年5月の元寇において、河野対馬守越智通有は大山祇神社で戦勝を祈願したのち、伊予水軍を率いて元軍を撃退した。 帰陣の夢中、通有は大山祇大神を武蔵国豊島郡に勧請せよとの神託を受け、上..
1281(弘安4)年5月の元寇において、河野対馬守越智通有は大山祇神社で戦勝を祈願したのち、伊予水軍を率いて元軍を撃退した。 帰陣の夢中、通有は大山祇大神を武蔵国豊島郡に勧請せよとの神託を受け、上野山内にあった河野氏の館に奉斎したのを創祀とする。 1709(宝永6)年、寛永寺建立のため、旧金杉村上野山内の社地が幕府用地となった。 浅草小揚町(現・台東区寿)の現在地に替地が与えられ、遷座したのが当社の始まりである。 約千坪の地に門前町屋を許されていたが、明治維新後の1870(明治3)年に門前地を上地したのち、1872(明治5)年には村社の指定を受けた。 1923(大正12)年、関東大震災によって社殿はじめ三代将軍家光が寄進した神輿等が焼失してしまう。 昭和初年に社殿は再建されたが、1945(昭和20)年3月の空襲により再び焼失した。 戦後長らく仮殿での奉仕が続いたが、1972(昭和47)年に現社殿を造営した。
大山祇命・伊佐那岐命
旧村社
寿三島神社
地下鉄銀座線「田原町駅」 3分