あさくさこまがたすわじんじゃ
東京都台東区駒形1-4-15
当社の創祀は定かなことを知る事は出来ませんが、口碑に依りますと「後冷泉天皇の御世である」と云われ、又一説には「承久の乱(1221)の後信濃国諏訪郡小日村の神主が諏訪大社の御分霊を当地に奉斎したのに..
当社の創祀は定かなことを知る事は出来ませんが、口碑に依りますと「後冷泉天皇の御世である」と云われ、又一説には「承久の乱(1221)の後信濃国諏訪郡小日村の神主が諏訪大社の御分霊を当地に奉斎したのに始まる」と云われております。 諏訪信仰が関東に広まるのは、鎌倉時代中頃で当時諏訪大社は鎌倉幕府より箱根権現や伊豆山権現或いは三島大社と共に特別の尊崇を受けていたのです。それは「諏訪大社の大祝家が源頼朝の旗上げに最初から協力し祈祷の効を積んだからである」と云われています。したがって頼朝も諏訪大社を「武家守護之神」(吾妻鏡)として崇敬しています。又後白河法皇の「染塵秘抄」にも「関より東の王神として鹿島大社、香取大社と並んで三番目に諏訪大社が挙げられています」。その後時の執権となった北条氏は信濃国の守護職となり、諏訪郡を得宗領とし、諏訪大社の神主を得宗被官としたのです。こうした北条氏の支援によって諏訪大社の御分社が数多く関東に広まっていったものと考えられています。更に執権北条氏は支配する所領地に諏訪大社の御分社を奉斎すると共に得宗被官である諏訪氏の神主を招き神事祭事を執り行っていったと伝えられています。(境内掲示より)
承久の乱(1221年)の後、信濃国諏訪郡小日村の神主が、諏訪大社(上社)の御分霊を当地に勧請したと伝えられている。また、天正年間には神主が数代に亘って奉仕したと伝えられ、その後、浅草寺の修善院が別当として奉仕して来たという。
・建御名方神(たけみなかたのかみ) ・八坂刀売神(やさかとめのかみ)
旧村社
おすわさま 駒形諏訪神社
・都営地下鉄 浅草線「浅草駅」から徒歩で約3分(約200m) ・都営地下鉄 大江戸線「蔵前駅」から徒歩で約5分(約400m) ・首都高速6号向島線「駒形出口」から車で約3分(約500m)
無料
約10分
無し(近隣の有料Pを利用)
無し