かめやまじょうあと(かめやまこうえん)
三重県亀山市本丸町572番地
亀山城跡(かめやまじょうあと)は、三重県亀山市本丸町にある史跡。丹波国の亀山城と区別するため伊勢亀山城と呼ばれることもある。1265年に関実忠が築城し、神戸、国府、鹿伏兎、峯、亀山の各城を居城とする..
亀山城跡(かめやまじょうあと)は、三重県亀山市本丸町にある史跡。丹波国の亀山城と区別するため伊勢亀山城と呼ばれることもある。1265年に関実忠が築城し、神戸、国府、鹿伏兎、峯、亀山の各城を居城とする関五家の宗家の居城となりました。1567年の織田信長による伊勢進行により亀山城は度々戦火となりましたが、1583年に賤ヶ岳の戦いの功績で亀山城を与えられた蒲生氏郷の家臣、関盛信の居城となりました。1590年に豊臣秀吉の家臣、岡本良勝が入城すると天守、本丸、二の丸、三の丸などが形成され現在に伝わる形となりました。しかし江戸時代に入ると丹後国の亀山城の解体を命じられた堀尾忠晴の勘違いで伊勢国の亀山城の天守閣を解体されてしまいました。1636年に新たに城主となった本多俊次によって天守閣を失った天守台に多聞櫓が築かれました。明治時代になると1873年の廃城令によって城の大半を取り壊され、天守台・多聞櫓・石垣・堀・土塁の一部が残されました。現在は、亀山公園として整備され亀山市の憩いの場として利用されています。
JR関西本線・紀勢本線亀山駅より徒歩10分
随時
無料
約30分
近くに市営無料駐車場有り
亀山公園内にあり