てんたくじ
山形県鶴岡市丸岡町の内36
天澤寺は金峯山山中にあり、「天王寺」と称し湯殿山に通じる関門でした。天文3年(1534)、武藤家の菩提寺として現在の地に移り、天正3年(1575)には越後村上大葉山普済寺五世安嶽守康大和尚を御開山に..
天澤寺は金峯山山中にあり、「天王寺」と称し湯殿山に通じる関門でした。天文3年(1534)、武藤家の菩提寺として現在の地に移り、天正3年(1575)には越後村上大葉山普済寺五世安嶽守康大和尚を御開山に迎え、山号を金峯山、寺号を天澤寺と改めます。寛永9年(1632)、徳川幕府は熊本五十四万石の大名加藤清正公の嫡子である忠廣公を改易、庄内藩預かりとします。忠廣母子は父君清正公の御尊骨を熊本から庄内に遷葬するも追及を避けるため隠匿、御葬骨の詳細は謎とされていました。昭和24年、尊骨探索調査が地元顕彰会により行われ、境内世代墓地にある五輪塔の地下から弓野焼の古唐津壺が見つかり、納められていた遺骨は清正公の尊骨と推断され、今尚、当寺に眠っている。
金峯山
曹洞宗
天正3年(1575年)
普済寺五世安嶽守康大和尚
庄内十三仏霊場 第7番札所
丸岡城跡・加藤清正公墓碑 山形県指定史跡
清正公祭 加藤清正公の命日(7月24日)に近い土日に、清正公・忠廣公(清正公嫡男)の慰霊のため行われます。前夜の御逮夜祭(おたいやさい)では清正公忠廣公尊像や稚児行列が練り歩きます。千本の灯明が天澤寺参道を照らしだします。
鶴岡駅から車で20分
無料
有り