せいがんじ
長野県上伊那郡飯島町本郷1724
西岸寺は弘長元(1261)年北條時頼が帰依した中国から来朝の大覚禅師によって開山された。二世大通禅師は寺の基礎を固め大覚禅師の尊像を開山堂に安置し初祖の偉業を称えた。六世大徹和尚は至鈍置文を書き残さ..
西岸寺は弘長元(1261)年北條時頼が帰依した中国から来朝の大覚禅師によって開山された。二世大通禅師は寺の基礎を固め大覚禅師の尊像を開山堂に安置し初祖の偉業を称えた。六世大徹和尚は至鈍置文を書き残された中興の祖であるがその代康安元(1361)年に臨照山西岸寺と称え本尊には宝冠無量寺佛を安置して七堂伽藍を造営し応安6年諸山に列せられ一本山となった。 天正10(1582)年織田信長が飯島城を攻めた際、この寺も兵火の厄にあい、弁天堂水月庵を残して久しくその盛大を誇った七堂伽藍も灰塵に帰した。その後いく度かの復興に努め、爾来京都妙心寺派に改められた。慶長6年には徳川幕府から28石の朱印を受けた。明治19年、昭和34年の2回にわたり火災にあい、本堂、開山堂等を焼失したが、本堂は昭和38年、開山堂、位牌堂、納骨堂は昭和41年に再建され現在に至っている。
臨照山
臨済宗
妙心寺派
弘長元年(1261年)
阿弥陀如来
大覚禅師蘭渓道隆
伊那七福神 恵比寿
JR飯田線 伊那本郷駅より徒歩12分 中央道 松川ICより車で20分