ののみやじんじゃ
埼玉県狭山市北入曽277
古記録に伝えるものはありませんが、社家の伝承によれば奈良時代の創立と伝えています。大和朝廷が皇威の発揚を図り四道将軍を派遣したときに、社家は神武天皇御東征に従軍し、日向の宮崎宮を姓となし宮崎と称しま..
古記録に伝えるものはありませんが、社家の伝承によれば奈良時代の創立と伝えています。大和朝廷が皇威の発揚を図り四道将軍を派遣したときに、社家は神武天皇御東征に従軍し、日向の宮崎宮を姓となし宮崎と称しました。奈良時代、朝廷の命を受けて倭姫命を奉斎し、入間路の警備と七曲井の管理に当りました。東海道、入間路には宮崎を姓とした社家が多く、たとえば井草八幡宮の社家が宮崎を姓としています。 本殿の左側には、明治40年に合祀された神社5社の神明神社・八雲神社・稲荷神社・愛宕神社・蔵王神社が並んで建っています。元旦祭や春、秋の大祭等には、市指定無形民俗文化財である入曽囃子が奉納されています。(狭山市公式HPより)
主祭神:倭姫命 配祀神:大国主命・少毘古名命
奈良時代
西武新宿線「入曽駅」より徒歩11分