いなりじんじゃ
滋賀県野洲市小篠原768-1
創祀不詳。神社縁起書によれば、天智天皇壬申の乱に野洲川原で戦死した人々の供養及び鎮護国家を祈願し、石域村主宿称が福林寺を建立、その守護神として天暦二年に、伏見稲荷大明神を寺域小篠原志礼の地に勧請した..
創祀不詳。神社縁起書によれば、天智天皇壬申の乱に野洲川原で戦死した人々の供養及び鎮護国家を祈願し、石域村主宿称が福林寺を建立、その守護神として天暦二年に、伏見稲荷大明神を寺域小篠原志礼の地に勧請したという。以来同寺の守護神、小篠原氏神として、崇敬されたと伝える。のち永禄年間の争乱で、福林寺の伽藍は、衰亡し、当社と福林寺の一宇真福院のみが残った。寛永十年、松平陸奥守より禁制を与えられ、元禄十六年、志礼の地から現在地沢の口へ、社殿が遷座された。同時に正一位稲荷台大明神の宗源宣旨を受けている。享保十四年には、松平家の京屋敷中門が当社へ奉納移建された。明治四十一年村社に加列し、大正三年、十二所神社・三神社・大神社・岩神神社を合祀した。うち十二所神社(古宮神社)は、廃寺福林寺の一山の護法神として崇敬されていた由緒をもち、その本殿は室町時代の社殿として昭和二十五年重文の指定を受ける。
宇迦之御魂神
5月5日
古宮神社(重要文化財)
JR野洲駅南口から徒歩16分 名神高速 栗東ICより車で15分