すげねのじんじゃ
神奈川県川崎市多摩区菅北浦5ー4ー1
当社の起源は定かではありませんが、当社は、鎌倉時代には小沢郷7ヵ村の総鎮守であったと伝えられ、江戸時代には管村の鎮守でした。『子之神社』の社名は、明治10年(1877)頃からのもので、それ以前は根..
当社の起源は定かではありませんが、当社は、鎌倉時代には小沢郷7ヵ村の総鎮守であったと伝えられ、江戸時代には管村の鎮守でした。『子之神社』の社名は、明治10年(1877)頃からのもので、それ以前は根ノ上社・根之神社などと記載さてれいました。 江戸時代の延宝7年(1679)、菅村の領主である旗本の中根正致(なかねまさむね)が、当社を管轄する法泉寺に田畑を寄進して社殿を再興し、その後享保13年(1728)には、村民の佐保田与市(さほだよいち)らが願主となって、本殿と拝殿を造営しました。今の本殿は、この後に再建されたもので、その時期は、江戸時代の末期(19世紀の中頃)と推定されます。 本殿の造りは間口3.86尺の一間社流造、正面に千鳥破風、向拝に軒唐破風を付け、母屋の組物を三手先斗栱詰組(みてさきときょうつめぐみ)としています。総けやき・しらき仕上げの建物で、木鼻や正面の桟唐戸および脇障子をはじめ、四面の壁面、組物などの小壁、向拝柱や繋虹梁などが、しらきの彫物で飾られ、幕末期の特徴をよく示しています。 このように壁面および細部を彫物装飾で埋め尽くした建物の事例は、神奈川県下の社寺建築では数少なく、貴重な建造物といえます。彫物は、その精緻な彫り方からみて、江戸の名のある彫工の作と推定されます。
登戸稲荷神社の兼務社
大国主命
村社
不詳
一間社流造
子之神様
10月体育の日 例大祭
1月9日 祈年祭(お的祭) 11月15日 七五三祝
本殿(川崎市重要歴史記念物)
川崎市営バス (登14) 北浦バス停から徒歩6分 小田急バス (読02) 北浦バス停から徒歩8分 小田急バス (読02) 馬場バス停から徒歩8分 JR南武線 稲田堤駅から徒歩12分 京王相模原線 京王稲田堤駅から徒歩15分
無料
15分
無し