せいきょうじ
山口県光市浅江2丁目1−14
時は天正10年(1582年)毛利氏支配下にあった備中高松城は織田勢である羽柴秀吉に攻められましたが城兵の必死の攻防戦により羽柴軍を一歩も入らせませんでした。攻撃が不利だと悟った秀吉は、軍師黒田官兵衛..
時は天正10年(1582年)毛利氏支配下にあった備中高松城は織田勢である羽柴秀吉に攻められましたが城兵の必死の攻防戦により羽柴軍を一歩も入らせませんでした。攻撃が不利だと悟った秀吉は、軍師黒田官兵衛の策をとり水攻めを行いました。城主清水宗治は城内の兵5千人を救うよう秀吉に願い出て、身代わりに切腹しました。その後、清水家は毛利の領地を与えられ、宗治を弔うための菩提寺を建て、清鏡寺としたそうです。山号寺号は、宗治の法名(高松院殿救溺祐君清鏡宗心大居士)に依拠する。
高松山
真言宗
御室派
山口県十八不動三十六童子霊場 第17番 周南七福神 恵比寿神
清水宗治主従の供養塔(市指定文化財) 清水宗治奉納と伝えられる陣鐘と鐙(寺宝)
JR光駅より徒歩13分 山陽道 熊毛ICより車で10分