しょうとくじ
長野県上伊那郡飯島町田切2875
この寺は、もと太子堂といって現在北河内字太子の地にあって聖徳太子自作の尊像を安置した仏堂であったが寛永年中相誉了頓和尚がこれを興して一寺とし太子院聖徳寺と号した。正徳五年(1715年)中田切川の洪水..
この寺は、もと太子堂といって現在北河内字太子の地にあって聖徳太子自作の尊像を安置した仏堂であったが寛永年中相誉了頓和尚がこれを興して一寺とし太子院聖徳寺と号した。正徳五年(1715年)中田切川の洪水(未の満水)によって流失したので享保二年(1717年)追引の現在地に移し堂宇を建立した。天保六年(1835年)類火の厄にあい鐘楼門を焼失、梵鐘も破損した。同年直ちに梵鐘を改鋳し鐘楼門も建てた。弘化三年(1846年)七月響誉和尚の代に出火、本堂庫裡等を全焼し諸記録什宝等を始め聖徳太子像も焼失した。よって現在の庫裡(安政四年の建築物)を他より移築して本堂をも兼ねていた。明治三十六年隆誉徳定和尚の代に本堂が建てられ土蔵書院等も整備された。太平洋戦争中昭和十七年梵鐘を供出し鐘楼門は多年仮建築で過ごしたが昭和三十六年宗祖七五〇年忌を記念し梵鐘を新鋳、鐘楼門も建立し現在に至っている。
石上山
浄土宗
寛永年中
阿弥陀如来
相誉了頓和尚
石上山 聖徳寺
伊那七福神 福禄寿
木造百万小塔附陀羅尼他一点(市指定文化財)
JR飯田線 田切駅より徒歩1分 中央道 駒ヶ根IC より車で15分