かんろじ
静岡県浜松市東区中郡町1026
寺伝によると遠江國において反乱を起こし、異郷の地に散った新羅人数百人の霊を慰めるため、弘仁13年(822)弘法大師により開創された。承安2年(1172)平重盛により七堂伽藍の造営がなされ、遠江國の真..
寺伝によると遠江國において反乱を起こし、異郷の地に散った新羅人数百人の霊を慰めるため、弘仁13年(822)弘法大師により開創された。承安2年(1172)平重盛により七堂伽藍の造営がなされ、遠江國の真言宗の道場として繁栄をみた。その後明徳元年(1390)仲翁和尚が分派し臨済宗に改宗。応仁の乱(1467)の折諸堂は炎上、室町から江戸期にかけて盛衰を繰り返したが、元治元年(1864)不慮の災禍により伽藍の大半を焼失した。しかし、幸いにも、楼門と中門のみは焼失を免れたが、楼門は昭和35年頃には朽ち果てた。桃山様式の建築技法を伝える中門は、斗組・懸魚・左右の支柱に特色が見られ、市指定文化財に指定されている。
江戸時代、徳川家康が浜松城在城中に甘露寺を訪れ、本堂前庭の古梅をほめたという。 また、国学者であり、歌人でもある賀茂真淵も1724(享保9)年に観梅歌会を甘露寺で開き、多くの歌人や学者が集った。
法雨山
臨済宗
方広寺派
弘仁13年(822)真言宗寺院として創建 明徳元年(1390)臨済宗に改宗
浜松七福神(弁財天)
中門(市指定文化財)
遠州鉄道「遠州西ケ崎駅」より徒歩7分