つなしますわじんじゃ
神奈川県横浜市港北区綱島東2-10-1
当地は往昔綱島三郎信照の采邑であり、天正(一五七三年〜)の頃は近藤五郎右衛門正次を首領とする甲州武田の家臣が各々領有していた。「綱島十八騎」と聞こえし武田の家臣団は信玄に倣って信濃の国諏訪明神を深..
当地は往昔綱島三郎信照の采邑であり、天正(一五七三年〜)の頃は近藤五郎右衛門正次を首領とする甲州武田の家臣が各々領有していた。「綱島十八騎」と聞こえし武田の家臣団は信玄に倣って信濃の国諏訪明神を深く信仰し、その境内から桜の一枝を折り、此の地に下る時、馬の鞭として馳せ参じた。 綱島の山上に来て遠く信濃の国を遥拝し「我が武運の長久を守らせ給え、若しその験しあらばこの桜の枝に根を付かせ給へ」と念じ地に指した処、根が生じ年を経て大木に育った。将にその霊験は、小田原攻め・関ヶ原での勲功に顕れ、知行を受けて神威の顕現を報謝し、茲に慶長十年頃(一六〇五年頃)諏訪明神を勧請して当社を創建したと伝わる。 現在残る記録によれば元禄十二年(一六九九年)に再建が営まれ、その後数度の造営の後、明治六年南北綱島の鎮守として村社に列格。 大正十二年震災のため倒壊したが昭和元年に再建。しかし、昭和三十六年七月十日、不審火により神体像をのぞく本拝殿等悉く消失する。爾来十年余の歳月、仮殿での奉斎を余儀なくされたが、多くの町民の赤誠溢れる奉賛と懸命の努力により、昭和四十八年現社殿竣功。十月二十七日正遷座祭が斎行され面目を一新する。平成二年には御大典奉祝事業として玉垣建立及び境内整備完工す。
師岡熊野神社の兼務社 境内社に金刀比羅宮、稲荷社、三峯社、荒井社がある。
建御名方命
村社
慶長10年頃(1605年頃)
流造銅葺6坪
8月最終の土曜日・日曜日
1月1日 歳旦祭 1月14日 塞ノ神行事(どんと焼) 2月初午日 稲荷祭 4月10日 神明社例祭 11月15日及び前後の土・日 七五三祝神事 12月31日 除夜祭
東急バス (日81、日92) 長福寺バス停から徒歩1分 東急東横線 綱島駅から徒歩6分
無料
10分
無し