くまのじんじゃ(いそごくなかはら)
神奈川県横浜市磯子区中原4丁目24-17
建久3年 (西暦1192年)、 源頼朝が征夷大将軍になった年、鎌倉四家の道場 (山崎ノ泉蔵社・亀ヶ谷ノ権現堂・二階堂ノ愛泉坊・蔵見堂) の内、山崎泉蔵院の僧真締智覚法印に治国安民の祈祷を命じた。頼..
建久3年 (西暦1192年)、 源頼朝が征夷大将軍になった年、鎌倉四家の道場 (山崎ノ泉蔵社・亀ヶ谷ノ権現堂・二階堂ノ愛泉坊・蔵見堂) の内、山崎泉蔵院の僧真締智覚法印に治国安民の祈祷を命じた。頼朝の命を受けた智覚法印は、我が国第一の霊場とされて居る紀州熊野に参籠して幣帛を捧げ、三所権現の御分霊を樟の舟に乗せ祈りを込めて海に流した。樟舟は神意のまにまに旬日の後中原の海岸に流れ着き、この事が将軍に伝わり、頼朝は御神慮の有難さを感じて、近くの地に神殿を建てるよう智覚法印に命じた。智覚法印は東に海を望む景勝の当地を選び山上に熊野三所権現社を祀り、山裾に紀州山桐谷寺を建立すべく同年5月6日に着工し11月15日に完成した。後に桐谷寺は山号を大霊山泉蔵院と改め熊野権現社の別当として当社に奉仕し、国家安泰、万民和楽の祈願を続けて来た。その間文禄3年9月 (1594)、 社殿再建、正徳5年 (1715)、二十六世善祐のおり社殿を改築され規模は九尺に二間であった。後、安政4年 (1857)、 再度改築された。明治初年の神仏分離令により社名を熊野神社と改め法印は神職となり、約700年間続いた泉蔵院は廃寺となってしまった。明治43年、神社統合令により村内の中原明神・諏訪神社の二社が合祀された。大正4年、社殿の改築が行われ本殿は二間に一間半の神明造り、幣殿は二間に一間半、拝殿は二間半に二間半向拝付銅葺の建物になった。昭和61年に社殿新築の議が起こり、寺田勝彦氏が建築委員長となり、大同建設株式会社岡田文夫氏が施工を請持ち、昭和62年12月に現社殿が完成した。本殿二間に一間二五神明造り・幣殿二間に一間七五・拝殿三間に二間唐破風付銅葺である。
境内社に金比羅神社、摩利支天社、稲荷社、泉蔵社があり、兼務社に栗木神社、金山神社、田中神社がある。
[主神] 伊邪那美之命(イザナミノミコト) [主神] 事解之命(コトサカノヲノミコト) [主神] 速玉之命(ハヤタマノミコト) [合祀] 日本武之尊(ヤマトタケルノミコト) [合祀] 建御名方命(タケミナカタノミコト)
旧指定村社
建久3年 (西暦1192年) 11月15日
神明造
8月18日近い日曜日 大祭
1月1日 新年祭 2月11日 祈年祭 11月23日 新嘗祭
京急本線 杉田駅から徒歩4分 JR根岸線 新杉田駅から徒歩12分
無料
なし