(境内由緒書より)
神社の前面を北から南へ帯状に伸びる地域は、最近までは水田地帯、往古には海からの入江で白砂青松、景勝の処で台地の上では、古代から人々が生活していたと推察される。
この地は昔から「寺内」と称し、西に「本郷」、東に「印内」と間近に各々独立した村落が形成されたのは、すでに鎌倉時代に遡ると思われる。印内は「院内」で寺院内の意であり、それぞれに別の寺領域の中心であった。
御祭神は古事記神代巻の初めに載る、天地創造、萬物造化の祖神である。
また北辰星宿を司る御神威により、妙見大神と奉称し、安産子育て、方除け、学業増進、生業繁栄の御神徳を有せられる。
古来、下総国の豪族 "千葉氏" の尊崇した神で、其の勢力が台頭した中世期に、此の里の鎮守として篤信の士により奉斎されたと考えられる。
近年枯死した境内老松の年輪が五百年余を示し、その経緯を裏付けている。
この付近、二子、本郷、西海神等にも元から妙見社の小祠はあったが、(船橋市史・前編)特に「妙見」を神社名とし奉祀するのは当神社のみであり、そこに深い由緒の係わりが偲ばれるのである。