しぶえしらひげじんじゃ
東京都葛飾区東四つ木4-36-18
当神社のご祭神は猿田彦命で、合殿として大己貴命、建御名方命を奉祀します。当神社は渋江邑(むら)草創当初より伝わる古社で、霊験あらたかな社として近郷近在からも篤い崇敬を集めてきました。 創建年代は詳..
当神社のご祭神は猿田彦命で、合殿として大己貴命、建御名方命を奉祀します。当神社は渋江邑(むら)草創当初より伝わる古社で、霊験あらたかな社として近郷近在からも篤い崇敬を集めてきました。 創建年代は詳らかではありませんが、旧別当(神社に付属する寺)清宝山観正寺が僧円覚によって延徳3年(1491)に建立されたといいますから、当社の創建はそれ以前のことと考えられます。 「渋江」の地名は、応永5年(1398)の『葛西御厨田数注文写』に初見することから当地の豪族であった葛西清重が平安末期に伊勢神宮に寄進した葛西厨33郷のひとつと推測されており、当社の創建もこの時代までさかのぼると思われます。 古い申し伝えでは、清和天皇の御代貞観2年(860)庚申9月の鎮座なりとも、治承年間(1177~1180)には鎮座せりともいわれています。 江戸期には「葛西の客人大権現」と称され、江戸市中の遊郭や水茶屋などからの参詣者で賑わいました。特に、六代将軍家宣公の御側室左京の局が当社の信仰によって七代家継公を授かってからいっそう万都の人気を呼び、江戸名所のひとつとして参詣人が絶えなかったといいます。文化文政から天保に至る時代には最も隆盛を極め、遠近より参詣するもの雲集したとのことであり、境内の鳥居、灯篭、手水舎等にそのおもかげを遺しています。
当神社のご祭神の猿田彦命は、神代の昔、天孫降臨の際、天つ神をお導きになり、また国土の開発を指導された神様で、古来物事のはじめに厄災を祓い、万事をいとよき方へお導きくださるとされ、開運招福、厄除、建築、開業、事業繁栄、五穀豊穣、交通安全...
猿田彦命(さるたひこのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) 建御名方命(たけみなかたのみこと)
村社 神饌幣帛料供進神社
延徳3年(1491)以前
客人大権現(まろうどだいごんげん)
5月20日
京成電鉄押上線四ツ木駅を出て、東四つ木側線路沿いの「駅前ポケットパーク」から右方向に道なりに徒歩約6分。
無し