えいぞんじんじゃ
宮城県石巻市湊字牧山
片桐且元の孫、栄存法印は牧山の鷲峯山長禅寺(現在の零羊崎神社)の復興に努め、高僧として衆人の帰依が篤かったが、笹町家当主新左衛門頼重が嫉んで「栄存は姪っ子の楓を妻にして姦淫している」などと讒訴した。..
片桐且元の孫、栄存法印は牧山の鷲峯山長禅寺(現在の零羊崎神社)の復興に努め、高僧として衆人の帰依が篤かったが、笹町家当主新左衛門頼重が嫉んで「栄存は姪っ子の楓を妻にして姦淫している」などと讒訴した。江ノ島に流罪となった法印は、笹町家を呪い続けて亡くなった。天和元年(1681)2月6日のことである。「口に鰹節を挟み、湊町を望む地に身を逆さまに埋めよ」という遺言を残したが、島民がこれを守らず、普通通りに埋葬した。すると、島に不漁や凶事が重ったので、改めて遺言通りに埋葬し供養を行った。これが栄存神社の起源である。
片桐栄存(栄存法印)
1681年(天和元年)奥津城を築く 1854年(嘉永七年) その上に雨屋を築く
三陸自動車道『石巻河南』より車で30分