いかだはちまんぐう
山口県大島郡周防大島町和田357
当社創建年代は不詳である。社伝によると、平安時代の貞観年中(八五九~)、神のお告げにより朝廷は宇佐八幡宮の分霊を石清水に御勧請された。この時、御分霊を乗せた御船が、和田村沖磯合にさしかかると神光が顕..
当社創建年代は不詳である。社伝によると、平安時代の貞観年中(八五九~)、神のお告げにより朝廷は宇佐八幡宮の分霊を石清水に御勧請された。この時、御分霊を乗せた御船が、和田村沖磯合にさしかかると神光が顕れ、御舟は闇夜激流の中を神光の導きにより、無事航行することができた。この時、当地の守護職であった星野家遠祖の大嶋三部長者橘四郎に、「筏に乗り影向し給う厨子入りの白昼の如く照り輝き霊妙なる神光を放つ神鏡を奉斎するように」とのご託宣があった。早速、当地に新に宮殿を造営し、神鏡を神璽として鎮祭し、筏八幡宮と称号したという。別伝には当社地内に宮島様と唱える社があり、住吉三神を奉斎していたとある。また口伝覚書には、戦国時代の永正七年(一五一〇)、内宮より勧請奉斎したとあり、三宝荒神(後に三府光神と改める)と称し、天照皇大神・素盞嗚尊・大多麻流別命の祭神三座を奉斎するとある。旧記には再建の棟札など八枚(承安二年外)の記載がある。本郡東端八ケ村の祖神と奉斎し、周防国東境の守護神として崇敬されている(旧郷社)。
主祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后 配祀神:田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神 天照皇大神 表筒男神・中筒男神・底筒男神
860年(貞観2年)
例祭(十月一日)、祈年祭(五月五日)、新嘗祭(十二月十二日)
山陽道『玖珂IC』より車で61分