ぜんかじんじゃ
宮城県登米市東和町米谷秈荷56
東和町米谷秈荷山にあり、永仁元年(1293)葛西佐馬尉重直の建立と伝えられ、代々の地頭たちの崇敬するところであった。往時この地方は葛西氏の勢力範囲であり、亀卦川氏系譜によれば、建治2年8月(1276..
東和町米谷秈荷山にあり、永仁元年(1293)葛西佐馬尉重直の建立と伝えられ、代々の地頭たちの崇敬するところであった。往時この地方は葛西氏の勢力範囲であり、亀卦川氏系譜によれば、建治2年8月(1276)亀卦川胤氏が葛西清信に従い、奥州に下向し采地五百余町を賜り米谷城を築城し、以来、天正18年(1590)葛西氏没落に至るまで米谷城主となる。建武3年(延元元年1336)奥州勢をひきて長躯上洛し、足利尊氏直義の軍を破った時、葛西軍は数々の戦功をあげましたが、葛西清宗は神楽岡の戦で、新田義貞の身替わりとして戦死し、この戦の後、葛西清宗の家来亀卦川胤明(葛西氏の重臣)が、主君清宗の冥福を祈って伏見稲荷神社に参籠し、帰途に際し守護神として居館(米谷館)の地に社殿を建立し、祭祀して稲荷大明神(銭金大明神・善賀大明神の別名有り)と称する。
倉稲魂命、経津主命、武甕槌命
1293年(永仁元年)
銭金山大明神、おぜんかさん
三陸道 登米東和インターより車で5分